ご挨拶も兼ねて14日(チケット発売日)にザ・スズナリの
演劇実験室◎万有引力「狂人教育」-人形と俳優との偶発的邂逅劇- へ。


10分前到着予測で下北沢駅からさくさく歩いていると、目の前に見知った背中が。
「シーザー先生!おはようございますこもだです!」
黙って追い抜く訳には行かないし、大きく声をかける。振り向いて
「お!俺もギリギリだよ」。
ふたりで速足で歩きながら、12月14日に「李庚順」の楽曲を使わせていただくお礼と、先日の古稀のお祝いを伝える。
「昭和さん14日が誕生日なのか…」
「そうですね、寺山さんともわたしとも近くて」
昭和さんとふたりで万有を見に行って、一緒に打ち上げにお邪魔してた頃はシーザー氏の感情は読めなくて、とてもクールな人という印象だったけど(最初に一緒に飲んだのは2010年「くるみ割り人形」だと思う。桂太さんがくるみ割り人形で、ようこちゃんがクララだった)、万有忘年会やシーザーコンサートに行ったりしたせいで馴染んだのか、表情がわかるようになってきた。
あとは[昭和さんのとこの子]だからだろう。昭和さんにとって兄貴分だった寺山さんは(会ったことないのに)わたしやイッキさんにとっては伯父貴のような存在で、昭和さんより歳下のシーザー氏だって叔父貴という感じなのだ。
「では、チケットの精算がありますので、わたしは走ります!」と告げて、一足先に劇場にダッシュ。


「狂人教育」は、実は初めて触れた寺山修司の戯曲。
高校2年生の全国高等学校演劇大会の演目候補としてあがって読んだ。
青蛾館の初期一幕劇連続上演(2013)でも青木砂織演出で上演されたのも見ている。

もともと人形劇団「ひとみ座」のために書かれた作品だという。
いま改めて戯曲を読みかえすと、なるほど人形使いと人形の関係が肝だ。
17歳で戯曲を読んだときにはその構造はまったく理解できなかった。
本来なら交わらない世界の者が会話する、見えていないはずの「人形使い」が「人形使い」として喋ってしまうこと(=邪宗門でも使われる手法)が衝撃だったわけだ。

青蛾館で見た記憶からは[人形]ということがなぜか完全に抜け落ちていた。
「家族の中にひとり狂人がいる」と言われて、疑い、告発しあう場面が強い印象を残すからだろうか。
それとも人形使いも人形も、同様に誇張して人らしく演出されていたからだろうか。
(5年も前なので記憶があいまい)

今日の「狂人教育」では、人形役は終始人形としての身振りで、
人形使いは闇に紛れ、暗躍し、
舞台に吊られた人間大の人形がブラブラと揺れていたり、
人形と人形使いの住むふたつの世界が、白黒の衣装でも演出でもくっきりと区別されていて、揺るがないところが美しい。

見ている間ずっと、おそらくわたしは満足気に笑っていたと思う。
万有引力を見に行くときに「見たい」と思う項目がふんだんに詰まっていたし、
構造も、演出も、既存の作品を書き換えて いま彼らが上演する「意義」とはこういうことだと感じた。

その日に興奮してたくさんツイートしたので、あとはそのまま引用します。
今までみた万有で一番好きな舞台かも。
見に行けてよかった!