いま読んでいる本(『白蛇教異端審問』桐野夏生)は、保さんが5/22のライブの時に貸してくれたもの。
「読んでる暇ある?」と心遣いを見せてくれた保さんに、実際他の本も読んでいたし「もう台詞も入ってたし、大丈夫」と言って受け取った。が、25のライブも終えた後、さして間を置かずに怒濤の通しまくり稽古に切り替わって身体より頭がてんてこ舞いだったので、手つかずのままいた。
公演が終わってすぐ読み始めたが、最初のショート・コラムの文体がしっくり来なくて、もう一冊待たせてる本を先に読んで、改めて手に取った。
数日前には「この強い女性の言葉は今読めない」と感じた文章だったが、今は読み易い。
何度か引用している、大江さんのいうところの「読書のタイミング」が、まさしく今だったようだ。
(7/7追記)質問があったので、大江さんの小説の該当箇所を再度引用します。
本とジャストミートするかたちで出会うことは、読む当人がなしとげる仕業というほかないんだね。選び方もあるし、時期もある。たまたま貰った本にジャストミートすることもあるし、自分が買って来た本で書棚にしまっておいたのが、ある日、ということもある。(新潮文庫『燃え上がる緑の木』 第三部 P.21)
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