Air*Log

語り歌う女優、こもだまりの製作日誌(2005〜)。 演劇・語り・ライブ等の上演情報や、稽古や、思索。 昭和精吾事務所 二代目代表。脚本・演出家。麻邑楽×麻人楽。 ヒューマンアカデミー演技講師。

2008年06月

繰り返し繰り返し

先々週終わった舞台『Bon Voyage!』の衣装返却で、女優5人と主宰の香坂さんとで集まる。
「まだ2週間なのに、もうひと月くらい経った気がする」と富山さん。
「毎日会ってたからね」と海ちゃん。

め組のおふたりはもう8月公演の稽古まっさかりらしい。

居酒屋で「改めて打上げ」。
「ゲネは緊張してたよね」とか「初日終えてダメ出ししたら、二日目が格段によくなってびっくりした」とか「あのシーンの照明がきれいで・・・」とかそういう全体的な話も聞けて、よかった。
香坂さんとは着物絡みでまた会えるだろうから、その時に詳しく話が聞けたらいいな。
藤居幸一さんの撮ってくれたゲネの写真をみたことで、初めて少し、見えてた絵を確かめることができた。ものすごく新鮮な気持で。

普通、演じてる時には客席から見た絵を想像してるものなんだけど(ダンスしてる時にも踊りながら、鏡でなく、あちら側から見た画面で思い浮かべてるように/普段でも自分が人からどう見えてるか自然に考えているように)、今回はその度合いが少なかったようで。
演出部がちゃんと見てくれてるっていう信頼感があったからこそできたのだろうが、今までとは違う作り方だったみたい。こんなに客観的に見てない(想像してない)舞台っていままでにない。
そういえば、ポジション確認しようって話して、鏡に向かって稽古したとき、気持ち悪くて鏡見られなかったっけ。
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原動力としての怒り(2008.6)

創さんの戯曲を演じていた頃、根底に「怒り」がある、そんな気がしていた。
もちろんそれが前面に出ているものもあるし、そうでない場合でも。
怒りってたぶん、守るべき何かがあるから起きる感情で、大切なものがなければ怒ることはないんだ。


今ヘッドフォンから流れているのはAIRの「6543」(『MY LIVE AS AIR』)で、聞いていてそんなことを思い出した。AIRはfreedom・・・freedom・・・と繰り返し歌う。それを聞いて思う、強くあらねば、と。


どんなにへろへろでも、わたしを怒らせることがあれば、行動せざるを得ない。
創さんの描く女がみな、出方は違えど「強い」女だったことも、ここに関係があるはず。

会話



いま読んでいる本(『白蛇教異端審問』桐野夏生)のエッセイに、カナダ出身の女性が「会話というものは、テニスのようにする」と言ったことに驚いた、とあった。
会話がよく例えられるのは「キャッチボール」だが、それは日本での感覚らしい。
「会話が、いやコミュニケーションが、かように丁々発止のゲーム性を帯びたものだという認識は、日本人にはあまりないのではないだろうか。」(同上)

会話といえば、演劇でも「会話になってない」という常套句のような感想がある。
それを見る度、「会話」ってなんだろう?と思う。
もしくは、この人(アンケートを書いた人)の思う「会話」とはなんなのかと。
(確か大学生の頃は、モノローグ(独白)とダイアローグ(対話)とを区別して感想を書いてる人が多かった)
2001年に書いた文章の一部を引用する。(全文はテキスト=演劇論・ノートというコーナーの『魂としての演劇論』の中にある「アナタニナリタイ=text boxingという演劇」です)

以前「役者はダンサーであり、シンガーであるべきだ」といったのはここにあります。そのダンサー・シンガーの姿は今の私にはボクサーに近く感じます。対戦相手に合った戦略を練り、その為に練習して減量 して身体を作り試合に臨む。リングの上に上がったら、出てくるのはこれまでやってきた身振り=過去のボクサー達の、ももちろん含めた上での。余計なものを削ぎ落として、相手の方に自分を投げ出し惜しみなく武器を出し合うボクサーになりたい。創さんが「言葉が武器であることを剥きだしにして彼女に襲いかかってゆく(『繁く咲く道』)」と書いた通り、言語は武器と成りえます。それも圧倒的な練習量に裏打ちされた確信に押しだされるようにして(『繁く咲く道』)殴り合うような、殴り合った後は、結果はどうあれ本気で戦った後なら個人に対する憎しみなんてなく、対戦相手に「ありがとうございました」と言ってしまうような、それはケンカといっていい程の議論のあとに訪れるものに似ています。どっちが言ったかなんて途中からわからなくなって、でもそんなことどうでもよくなって、いい会話ができるか(いい試合ができるか)が勝負という。演劇のライブも、こうありたいと思います。

この時のわたしは、会話について考えていたようだ、キャッチボールではなく、ボクシングに喩えて。
舞台上では言語は武器になりうることを重々承知したうえで、会話をしなければならない。練習してきたものは出る、やってこなかったものは出ない。そういうシンプルな構造の、リング。今読んでも、それは間違っていないと思う。
しばらく書いて来た6月公演『Bon Voyage!』のひとつのシーンについての感覚の記録もそれに繋がる。
シーンとしては、お互いの気持を思いやる静かな場面なのだけど。
「お互いのやりたいことがあり、相手の出方を見て、いかに応えるか」というのは戦略の話で、戦闘であったと思う。それは役同士としてだけでなく、操縦者である役者同士としても。だからお互いあんまり打ち合わせしなかったのかな。たぶん松井さん(演出補)もキャッチボールではなく、戦闘を見ようとしたんだと思う。なんかの時に「引いた方が役者として負けですから」って言ってたのを思い出した。
それで、「圧倒的な練習量に裏打ちされた確信に押し出されるようにして」(横田創『繁く咲く道』)リングの上に出て行く時には、緊張感はあるけど無駄な力は抜けてるんだ。美子の泣きじゃくる声を聞きながら一心に願っている美貴は客席通路のカーテンの向こう、心の中で父さんを呼びながら、自分の手を、カーテンをきつくきつく握り締めていた。でもそこから呼び出される直前、力は抜けて、呼ばれるままにまっすぐ歩き出す。
それまで「やらなきゃ」「言わなきゃ」って気持が強かったときは力が入ってて手をぎゅっと握ったまま始めてたのが、ある日ふっと力が抜けて、手を握りしめずに舞台に上がれた稽古があった。それが最初になにかを掴んだと思えた日。たぶん、ある意味諦めたんだと思う、もういまさらじたばたしても仕方ないという諦め。試合前のボクサーさながらじゃないか。ちゃんと相手の様子を見る為には、自分から離れなくてはいけない。この頃のわたしが盛んに「アナタニナリタイ」と表現したのは、言語になりたいということだったけれど、いま言い換えるなら、この場を支配する空気に同調する、ということ。当時「言語」は「自分の台詞」という狭義の意味合いで使っていたけれど、自分の身体の身振りを全て含んだ「言語」であるし、舞台上にいる共演者や、明かりや、音や、空気すべての身振りすら内包した「言語」、世界そのものの身振り。そこに身体を委ねるということだったんじゃないかな。(ここでは客席の問題はひとまず置いとかせてもらう)【Air】というのが私の企画する公演の大きな主題であり、いまもわたしのサイトのタイトルでもあるのだけれど、この時からわたしは、Air=空気、雰囲気というものに魅かれていたんだ。

【Air/2001】で上演した『繁く咲く道』という戯曲は坂戸真紀子さんとわたしの「彼女」と「わたし」しか出て来ない二人芝居で、まさにこのボクシングとしての会話、という切り口から演出して、上演した。
『Bon Voyage!』の間には全く気づかなかったけど、私の身体はこのシーンの経験を思い出していたみたいだ。それでふっと力を抜くことができたのだろう。
ここでは主に「怒り」がわたしの感情を支配していて、まさに凶器であることを自覚して会話するのだけれど・・・ああ、そうだ。この戯曲は裁判の公判であって、舞台上に出ているのはふたりで、聞かせてる相手はもちろんもう一人なのだけど、それでも他に人が存在する(裁判長に向けて証言する)という設定だったっけ。そうでありながらあくまで闘う相手は坂戸さん演じる「彼女」なのだけれど。
・・・同じか。『Bon Voyage!』は目線を外さずに話すふたりきりのシーンだったけど、やっぱり見ているものがいるとわかってたもの。見ていたのは、世界とか運命とか呼ばれるような、そんなものだったけれど。


だが、「役者はダンサーであり、シンガーであるべきだ」については、今はそうは言わない。だってそれはもっと自然に、言うまでもなく、そうであると思うから。ちゃんと俳優であろうとする人は当然の如く、踊る人や歌う人と同質の意識を持って舞台に上がってると思えるから。説得力のある身体(立ち姿であり動作)・説得力のある声。それをダンサーやシンガーと同質に扱えるくらいの意識と訓練が必要なのは、当然のことだから。

自分がバンドのフロントに立って語ったり歌ったりするとは夢にも思わない頃に書いた言葉だ。
昭和精吾の語りを手本に考えて、わたしはバンドのヴォーカルであっても、役者の仕事の一環だと思えた。
そこに区別をしていないから、「女囚702号」という役を演じるこもだまりとしてライブをしている。
昭和さんが詩の側に行ってまた昭和精吾に戻って来る、詩とトークとの/役と昭和精吾との「際」が一番エキサイティング。
第十三号雑居房のMCでもそういうのがいいと思うから敢えてMCは「こもだまり」で話すようにしている。
いつになったら昭和精吾に追いつけるだろうか?

なにをみてもなにかをおもいだす(2008.6)

「なにをみてもなにかをおもいだす」。
ふと思い出した。これは台詞だったか? 
(ヘミングウェイの小説のタイトルを使って書かれた)創さんが書いた文章の一部なのはわかっているのだけど、同時期に書かれた戯曲の台詞にもあったような。


ときどき、聞いた音で「これって何かに似てる」と気になって、ぶつぶつ言っていると、「ああ、あの芝居の中の私の台詞だ」と思い出す。何度も繰り返し声にして聞いた音は、長い間忘れてても、記憶のどこかにいるらしい。
恐らく感情もそうで、味わった思いは、忘れてはいても確実に経験としてわたしに残り、なにかの折りに思い出されるのだろう。

死んだ人の近くにいた人間は、痛苦を伴った悔恨を掘り起こしてばかりで休まらない。
(ひとりごと−3『白蛇教異端審問』桐野夏生 より)



ときどきこうやって、気になった言葉があると取り出してメモしている。


何を見ても何かを思い出す。だけど「思い出す」ばかりで、「思い出す」だけで、〈それ〉はいっこうにあらわれない、その気配すらない。あきらかに老人はカフェで〈それ〉を待っていた、そして無数の亡霊たちに囲まれていた。(「亡霊カフェ」横田創)


これが書かれたのは2002年頃か。わたしはこの文章を、カフェを舞台にして(それは実際、カフェを営業している中に役者が役として来店したり、仕事したりするという舞台で、舞台と客席があるのではなく、お客様の隣の空いているテーブルに座ったりして)上演した自分の企画公演の企画書に引用し、応えてこう結んでいた。

わたしたちはカフェで、コーヒーを飲んだり食事したり会話したりしながら、待つのです、そこに現れる〈それ〉を、訪れるものを。(「訪れるもの」こもだまり)



思い出す、という行為は、一度忘れなければなし得ない。
待つという行為は、思い出すからできること。なのに待ってたら、待つものは訪れないのだとしたら、待ってない振りをして、さりげない振りをしているしかないのか。忘れている振り?
そうでなければそれはやって来ないのか。

死んだ人もきっとそう。
一度忘れなければ、いくら待っても訪れはしない。いや、いても見えないのかも。
そして遺されたものが忘れたようになって初めて、遺されたものが「痛苦を伴った悔恨」から解放されたころになってやっと彼らはやって来るのだろう。遺した者を苦しめないためだろうか。


わたしは折りに触れ,この感情を思い出す。
痛みを伴う行為だとわかっていながら、完全に失いたくないことも確かなこの感情。

まだそれは思い出せば涙が流れるのを止められないくらいに生々しいけれど、いつか穏やかな気持で亡霊を迎えるられる日が来るのだろうか。

レコーディング

080626スタジオ第十三号雑居房の2枚目の音源の唄録り。
来られないベースのムラサンからは応援のメールを貰った!
今日はエンジニアの恋さんと、今日は応援のヂルさんと集合。

ふたりがなんやかやと機材を準備する横で、身体をほぐして発声。
「セッティング時間かかるんで、ゆっくりほぐしててください。なにから録ります?」
「なんでもいいよ」
「こういうのって、本人の気分次第でいいんですよ。部屋を暗くしてとかそういうのもアリです」
・・と随分ボーカルにやさしいレコーディングである。(前回とは大違い・・)続きを読む

黒まり呼び出し(5/22と25のビデオ)

明日はレコーディング。
わたしが舞台やってる間、楽器隊は完了したんで、唄を残すのみ。

それで久々(笑)雑居房の音源を聞いて、こないだのライブのビデオを見ている。

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『Bon Voyage!』雑感

「まとめ」という記事を書くと宣言したけれど、『Bon Voyage!』という物語には今後の展開があるようなので、詳しいことは書かないことにします。

ということで本編に関わらない思い出話を少し。


仕込みで、手が空いた女優陣だけで楽屋作り。「まあ、仮で・・・」と作った配置そのままで本番を迎えた。
入口から私、とき緒さん、叶ちゃんの三姉妹、そこから死神チームで、海ちゃん、富山さん。L字型に曲がって奥に土山さん、酒井さん(写真・・・ない)。基本これだが、メイクの時間にはメイク道具が置いてあるL時の折れ目付近を皆が右往左往入り乱れ、「ハニーグレイズ持ってるの誰!」借り物競争さながらの光景が繰り広げられた。

楽屋での衣装の早替えがある私ととき緒さんが入口付近になってて、結果的には、よかった。
今回、「結果的によかった」ってことがいくつもあった。
オープニング前、暗転板付きの都合上、とき緒さんと手を繋いでたこと。
泣いたあと客席から出るため、受付に回り、明るいトイレで堂々とハナをかめたこと。
美和美子のシーンを、次の出番の為、下手袖スタンバイして、見ていられたこと。
とかいろいろ。
とき緒さんも、つらいシーンのあと、美子と裏で会うので、癒し合ってたんだって言ってたな。

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とき緒さんと慰労会

先日終わった舞台での後遺症なのか、泣きすぎた疲労感なのか、まだちょっとどんより気味だということで、とき緒さんとリフレッシュの時間を取ることにした。


1)キッチンOBASAN
080621OBASAN
坂戸さんがお母さんと経営する、江古田の洋食店へ。
舞台の感想を聞きつつ、オムカレーと、サフランピラフとハンバーグを食べる。

池袋へ移動。
次の目的地を探して歩いていると、「まりさん」と声がかかる。なんとうちのベース703号ことムラサン。今日はゾンロリの助っ人でベースを弾きに、目の前のアダム(ライブハウス)に来ているそうだ。彼も舞台見てくれてるんで「あ、先日の姉さん役のとき緒さん。うちのベース703号、というかムラサン」と紹介。
その隣の店は開店祝いなのか、一杯1円で千食、というサービスをしてて、大行列が出来てた。お腹いっぱいだったからよく見なかったけど。


2)猫のいる休憩所 299
080621猫 080621猫2
にくきゅー、と読むらしい。ゆったり座れるソファなどある空間に、猫もいるという癒し空間。
テレビでメイド喫茶ならぬ「猫カフェ」なるものがあると知り、気になっていた。
このごろにゃー氏もとんと来てくれないし。わたしのピンチの時にはいつも応援に来てくれたのに、今回は数ヶ月放置されている(通い猫だもの、仕方ないけど・・・愛人気分だわ)。猫に癒されに行ったのに、ソファに癒される。なんだかいい感じのソファで、膝掛けしてだんらり座ってるだけでのんびりできて、たまにやってきてくれる猫にも触らせてもらって癒されてきた。


3)Times SPA RESTA
パーキング業のタイムズの経営するスパ。入館料で室内着とタオル一式を貸してくれる。今日はゲルマニウム温浴も予約して、たんまり汗をかいて来た。体脂肪測ったり、リクライニングの椅子で音楽聞いたり、化粧室があったり、いたれりつくせり。一般料金300分2400円。ミストサウナやら露天風呂やジャクジー満喫しながら、舞台裏の話(あのシーンでわたしがここにスタンバイしてると・・・とか、各人しか見てない風景ってのがあるのです)をした。すっきり。


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砂々良開店記念日

舞台が終わって、砂々良連投。
着物モデルで知り合ったご縁での出演だったのに、わたしととき緒さんは着物を着ないという(笑)
ご本人=主宰で脚本・演出の香坂知美さんも、受付に着てくれたそのモデル友達も、ほかの女優さんたちもおおむね着物なのに! 受付まで着物美女だったのに! しかも翼さんのコレクションを舞台美術にお借りしてて、素敵な(髑髏とか)着物と帯が目の前にあるのに・・・
どうも着物モードじゃなくって、それでも全然着たい気持が沸かなかった。

で、今日は6/20、砂々良の開店記念日。
前日に砂々良でふと思い出して、素直に「あ、あした着物だな」って思えた。
6月は単衣の時期。一応、一年に2ヶ月しか着られない贅沢な着物。

起きてからママの単衣を持ち出していたことを思い出して、それに決定。
ひと月着てないけど、ちゃんと着られるかな?

綸子地っぽい小紋。
帯は白いのと赤いのと藤色のと迷ったけど、もう暑いので濃紫の絽の帯にした。
確か、初めて自分で買った帯。東郷の杜の骨董市だった筈。

<2008.06.20の着物>

着物  =綸子地の小紋(扇の地紋、模様も扇と鼓)
帯   =絽、濃紫に銀糸で花の刺繍
帯揚げ =桃色・山吹色・白のぼかし(絽)
帯締め =桃色(夏物)



わたしにあんまり似合わないなーと思いながら、でもママの着物で行きたい気持の方が強かった。
心配を他所に、ちゃっちゃと準備は済んで、余裕の到着。
ママの故郷・新潟のお酒、八海山を持参して、「マスター、開店記念日おめでとうございます!」
Tさんには「涼しげだね。似合ってるよ」と言ってもらえたんでよかった。

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美貴からみた『Bon Voyage!』(断片)

※わたし(役者・こもだまり)と美貴(役)からみた『Bon Voyage!』について、わたしのための記録として書きます。
飽くまでわたしの視点であって、脚本・演出家の意図とは違う部分があるかもしれないことをご理解ください。)

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