2011年06月

2011年06月30日

2010秋〜2011春 着物メモ

2010秋〜2011春の着物一覧。
衣装いれても7セット。
出すのが面倒なのか同じものの使い回しが多い。


10/20(ささら)葡萄柄ウール、簪柄半幅帯、薔薇帯留
101020帯まわり 101020 がまぐち 101020 がまぐち 101020帯留


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2011年06月25日

駒場高校同窓会


同窓会というか、卒業生全学年に召集がかかる大々的な会。

10年毎に幹事学年が回ってくる仕組みで(3期生、13期生…とX3期生が幹事)今年うちの学年も当番なので、わたしも受付を手伝う。
卒業以来会ってなかった同級生もたくさん来ていて、そしてみんな大人になっていて、妙な気分。
わたしの頃の高校生は、すっぴんがほとんどだったからね、お化粧してるとこ初めて見るみたいな状態で再会して、しかも子供が中学生とか言われるんだから。

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mari_air at 21:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)日々雑記 

2011年06月06日

「もし世界の終わりが明日だとしても

「もし世界の終わりが明日だとしても 私は今日林檎の種子(たね)をまくだろう!」

寺山さんの戯曲の上演がラストシーンを迎え暗転すると、シーザー(現J・A・シィザー)の「1970年8月」が大音量でかかる。
真暗闇の中マッチを擦りながらの名乗りでよく使われる言葉なので、聞き覚えのあるかたも多いだろう。(たぶん6/9初日のA・P・B-Tokyoでも高野さんの声で聞けるんじゃないかな?)


てっきり寺山さんの言葉だと思っていたが、さすが名言蒐集家。
角川文庫『ポケットに名言を』(大和書房『青春の名言 心さびしい日のために』1968年の新版)の中で、ゲオルグ・ゲオルギウの言葉だと紹介していた。

それでさっきゲオルグさんて何者かしらと検索したら、なんと人違いだという記事を発見。続きを読む

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2011年06月02日

「新しい時間」

誰を記憶するでもなく、誰に記憶されるでもなく、自分自身を記憶する光の情景。私たちが記憶と呼ぶもの、それは単なる記憶の記憶で、記憶の痕跡に過ぎない。記憶にラベルをつけて整理整頓し、お行儀良く過去から未来へ一直線に並べ直すことがもし記憶であるなら、世界は何と貧弱で頼りなく、暗く悲しいものだろう。忘却。記憶の本当の名前。光り輝く彼だけがこの世界を愛しつづける。

(横田創『Naked Cafe』20101224「新しい時間」より抜粋)



なんでだか文章の呼吸がやけにしっくりと来た。
気に入ったものは忘れないように貼りつけて。


記憶、という言葉を中学生の頃からずっと気にしてたとたったいま、思い当たった。



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mari_air at 23:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)読書