参加者=森下保、こもだまり

坂戸の風邪が長引いており、今日もおやすみ。
経営者はちょっとの風邪くらいでは店を休めないからたいへんだな。

そんなわけで保さんとサシ練。引越を控えて少しずつ荷物をまとめている保さんは、私や坂戸に返すもの、くれるものを持ってきていた(けれど坂戸は休みだったので私が全部預かった)。身体をほぐしながら話をして7時半から1時間フロア。

保さんの弱点とおぼしき腕の感じ方と、上半身の使い方の話など重点的にした。
「腕が一本になってる感じがしない」と言うと自分でもそう思っていたそうで、肩から先が分断されてる感じがするらしい。もしかしたら肩の筋肉が大きいので、そこに意識が集中してしまうのかもしれない、という話になった。自己申告によれば、肩に比べて上半身が薄い気がするらしい。
contraction&release&high arch を少し細かくやって、exercise6も何度か繰り返した。
contraction・・・は、みんな寝ているのであんまりお互いの姿を見ていなかったな。質問されて答えると、自分でも言語化してなかったものが出てきて、なるほどと思うことがある。
保さんは最近骨盤の置き方に意識を集中している(ね、と言ったらそうだと認めた)。骨盤は普段意識して動かすところじゃないからそこが一番意識が行きづらい。contractionもreleaseも、骨盤が基点になってると思う(と言ったら、保さんもそうだと思うと頷いた)。
contractionは、球体の一部に身体が張り付いてるような形で、縦方向・横方向に球を感じる。しかも押されるだけじゃなく、その(弾力のある)球に押されて押し返し、より密着していく感触を持つことが大事。
「マーサ・グラハムの生涯」というビデオをとき緒さんが貸してくれたのだけど、その中に出てくるという身体の置き方についての言葉「有るべきところに」置くというのはそれ以外に言いようのないことだと思う。
その「有るべきところ」に身体が行くようにするためには、「キャベツを一枚一枚剥くように、余分なところのない状態にする(Cavatina談)」ことが必要で、その為の訓練がフロアなのである、と思う。
日常生活で使う身体の部分は限られているし、置く形も限られている。それ以外の部分の錆をとって、ダンサーの身体を形作っていくのだ。
保さんは立体造形(塑像っていうの?彫刻?)をやっていたので、身体の構造からアプローチして納得するのがおもしろい。逆からいえば構造をわかってるのって強みだと思う。頭での理解に身体がついてきたらおもしろいことになると今から楽しみ。

8時45分からAir(2001)の稽古ビデオ(2001.8.21)を見る。テープの整理してたら発見した、山下さんが稽古を撮影してくれたもの。正面からとサイドからの二回写っていて(まだ完成前で変更はあるものの)いいものをみつけた。いまさらながら山下さんに感謝。
保さんには唯一の男性パートであるヤオさんパートを覚えてもらっている。
見てるのとやってるのでは全然感じが違うと保さん。、もっと踊ってる時のカタルシスみたいなものがあると思ってたみたい。「気をつけるところいっぱいで大変でしょう?」と言ったら「うーん・・・そう、気をつけるところいっぱい!」と言っていた。

外で帰りの会。最近保さんと長話になる傾向がある。まあ今月末には近所になるから今後はいいけど、もう少しは控えよう。
大学のサークル時代じゃあるまいし、基盤となる生活がいい加減なのに夢物語をするようなリアリティのないのはイヤだねと話す。舞台に上がる時だけが特別なのではない。
「身体は、生活の身体になる」というのはCavatinaの名言だが、だから生活は大事にしなきゃ。いい加減な生活をしてたらそういう身体になってしまう。精神でも全く同じだけど、一瞬でも、いたくないと思う場所にいてはいけない。