砂々良で働いて1年3ヶ月程が経過して、今日ふと思ったのだけど、抜きどころがわかってきた。さぼるということではなく(笑)、何なら後回しにして大丈夫かが=物事の優先順位が、ということか。
慣れるというのは、そういうことなのか。
ここ何ヶ月かで急に着物を頻繁に着たがる生活に切り替わって(その間長期出張でほぼ不在のYは情報は知ってても実感ないだろうから、この有り様をみたら驚くだろうな)、急激に習ったり調べたり見たり実践したりで吸収して、同じようなことを考えた。まだ着物については数ヶ月で数回の実践、慣れた、のではなく「慣れてきた?」という段階だが。
たぶん、抜きどころがわかるかどうかに未来は懸かっている。着物というと「あの人に着せてもらうと着崩れないけど全然苦しくない」という話題がでる。それがたぶん、抜きどころなのだろう。日常的に着物を着ている人は楽に着る工夫をしている。話に聞いたうそつき襦袢とかうそ半襟とか、ワンピース式下着とか、お店で見てみよう。しかしまたお裁縫生活が始まる予感。工夫=たとえば見えるところ(襦袢の袖と裾)だけ柄にする、にはお裁縫がついてくるのだ。母が(木目込人形を作っていたほど)お裁縫が好きだし得意なので、私は一人暮しするまで全く必要がなくやってこなかった。手前味噌ですが母の針目は揃っていて本当にきれいなのだ。私は裁縫に限らず「まっすぐ」というのが苦手。直線を引くのもキライ。余程気を入れて縫わないと折れ線グラフができる。聞けば祖母の着物は母が縫っていたという。「寸法さえわかれば縫えるわよ」と軽く言う母。母なら組紐だってすぐ上手になるだろう。組紐プレートなるものを見つけたので、プレゼントしようか(完成品を使うのは私/笑)。

それはさておき、初歩的な部分の疑問がまだいくつかあるので、Yが帰ってきたらまた千佳先生のところに連れてってもらおう。そして袋帯結びも習うのだ!