051013保&まり2参加者=森下保、こもだまり

今月に入って何度目かのサシ練。仲町は大きなテレビあり、miniDVを接続してフロアと振りを見ながらモニターできる。
保さんも今年に入ってから鏡や映像で自分の姿を見ることに抵抗がなくなったようで、映像を活用して、みながら修正したり、踊ったあと一緒に見ながら細かく分析して小返ししたりして、稽古した。
051013保&まり保さんは今月から月・木と子供の絵画教室の先生になった。どうやら、そこからダンスの稽古へは、意識の断絶なしでスムーズに移行できるようで、教室のあとの日は精神的に開放されていて、いい。
例えば書類を作ったり電話応対をしたり接客したりする不動産のお仕事から砂々良での接客ですら意識のswitchが必要と感じる。保さんの生活のための労働は大勢の人がいる現場だけれど、個人作業なので外界をある程度シャットアウトするので、そこからバイクを走らせて(他者との会話なく)稽古場に来るより、子供達やお母さんがたと話したり、実際に絵を描いたりする空間からの移行はたやすいだろう。

保さんは授業のあと毎回、今日の授業内容を(生徒向けと保護者向けの2種類)プリントを書く。それは私がここでやっている作業に似ていて、その場にいた人も、いなかった人も、なにより自分が、なにが起きていたのかを整理する場所になっている。
保さんはそれをすべて手書きで作る。絵も文章も、すべて。それが保さんのスタイルなのだな、と思う。そういえば、「光りの子供」を作るきっかけになった提案の企画書も、全部手書きだったな。

こういういい連鎖の起きてる時には発想も軽やか。
あれもしたい、これもしたいと思いついては休憩時間や帰りの会で話す日々。

ああ、そうだ。AIR/2001(ダンス)を作ろうと思ったのも、「さまでして」ってシーンと合わせるつもりだったんだった。今AIR/2001を復刻中で、発表当時踊った私と坂戸ととき緒さんは自分のパートを、保さんとスワちゃんにヤオさんが踊ったパートを覚えてもらっている。
ひととおり覚えたら、今の5人用に構成しなおすことを予定している。そうだ、それと同時にもういちど、このメンバーで「さまでして」をしたらどうだろう?
1999年に八尾さんとスワちゃんと私、2001年に八尾さんと坂戸と私で上演した謡のシーンを。
5人versionなんて考えたことなかったけど、思いついてみると、思いつかなかったことのほうが不思議。今度会ったらそれぞれに話してみよう。