ユニットRの『吸血鬼』(作:岸田理生)を見た。
雛涼子さんと、数年前の昭和精吾事務所の公演で共演させていただいたご縁で。

吸血鬼、というタイトルで、雛さんともう一人の女優さんが吸血鬼の姉妹だと聞いていたので、てっきり『ポーの一族』みたいな感じだと思ってたのだけど、何百年も姿を変えずに生き続けている姉妹、そんな姉妹がひそかに暮らすことのできる閉塞した場所としてのある村、そこに入ってくる異物=噂によって村の平穏が乱される・・・という、コミュニティーの問題を扱った作品で、びっくりした。チラシに書いてあった岸田理生本人の文章の引用でも、学者でさえ、吸血鬼を扱うとロマンチストになってしまうのはなぜだろう、というようなことが書いてあったから余計に。
不死であり、互いに互いの血を吸い、混ざり合いながら永遠に生きて行く姉妹。
外からやってきた避雷針売りの男にふたりが恋をしたとき、お互い=自分の分身が恋敵であることを知り、嫉妬(劇中では、女は年頃になると、蛇の姿をした嫉妬を体に巣くわせている、と言っていた)を知る・・・といった箇所では、てっきり分身を消すことを選ぶと思ったのだけど、・・・わたしもまだまだロマンチストな見方をしてたんだなと思いました。

雛さんは、わたしよりずっと年上だけれど(実際の年齢は知りません)、いまでも「少女性」を持っている女優さんだ。去年のプロジェクト・ムー『糸地獄』(作:岸田理生)の時にも感じた。きっと雛さんは、どんなに歳をとっても、少女の部分を失うことはないだろう。
終演後、ロビーでご挨拶したときに『糸地獄』のなかでわたしがとても好きだった、「女たちが風を舐める」シーン、その感じと、さっきみた、吸血鬼の永遠の姉妹がふたり高台に足を広げて座り、ゆったりした時間の流れの中でふたりきりで会話しているシーンが似ている感じがした、つながってる感じがした、と話した。雛さんは「へぇー!全然気付かなかった!」と猫のように目をまんまるにしてキラキラさせておもしろがっていた。「やっぱり理生さんだからね、つながってるのかもしれないですねー。あれ、だた座ってるだけじゃつまらないねって、それで足を広げて座ってみたの」といたずらを告白するみたいにいう雛さんはかわいかったなぁ。

書いてて気付いたけど、そう、たぶん、『糸地獄』のそのシーンも、『吸血鬼』のそのシーンも、男たちに邪魔されない、女だけのゆったりと流れている時間・・・その空気感を、 似ていると感じたのだな。男の介在しない、女だけの空間にある、エロティシズム。女同士の独特の親密さ。
避雷針売りと毒子(姉)の触れ合うシーンより、毒子と薬子(妹)の血を吸い合うシーンの方が、性的に見えた。

岸田理生さんは女を書いてきた作家で、寺山さんは女を書けなかった作家だと思う。
逆から言えば、(当然だけど)岸田理生さんの書く男は女からみた男だし、寺山さんの書く女は男からみた女。ふたりが共同作業をしていたのはきっと偶然じゃない。