すわちゃん(諏訪友紀あたらめ、すわ友紀)出演の舞台を見に行く。
とてもよかった。
すわちゃんの演じたのは、余命を宣告された末期癌の奥さんで、たいへんな役どころなのだが、素のすわちゃんのいいところ(大人なのにかわいいところ、あまえんぼうなところ、おどけて三枚目を演じるところ・・・)がよく活きていて、とてもかわいらしい女性として描かれていた。
演出がすわちゃんと一緒に劇団を立ち上げた女優さんで、すわちゃんのことをよく知っているから出来た技なのかなんなのかわからないけど、ほんとに、いい感じだった。


(おすすめしたいのは山々だが、わたしが見た今日の16時が大楽。よさそうな舞台は早めに見なくちゃだめだな、と思った。)
物語は、前半は、自然死と判定されたはずの妻の死が夫による殺害だったかどうかを争う裁判劇で、観客を裁判員と見立てた設定で裁判が進行していく。
後半は、その妻の死んだ日(真相)を描く日常劇(と演出が言っていた)。

ヨシケンさんが出演した裁判劇も、観客を傍聴人として扱うという設定だった。
でもこの『コントラ』は後半に通常の観客の視点を返されるところが、予想外に効を奏したのではないかと思う。アンケートにも「第一幕が終わった時点で、主人公は有罪か、無罪か」「第二幕が終わった時点で、・・・」という項目があった。第一幕=裁判劇の裁判員として裁判を見・聞き、どうなんだろう?と思ったところで、実際ならば見ることが不可能なその日の出来事を見せてもらう。推理劇の読者のような・・・
いうなれば、第一幕は、第二幕を興味を持ってみてもらう為の壮大な前振りとも言えるだろう。
(賛否両論あるのかもだが)日常劇での夫婦のプライベートいちゃいちゃ加減も、まったく不快に感じなかった。これも大人のかわいさ・透明さを持ったすわちゃんだから為せる技に違いないが。
全編通して(裁判中と日常という設定だから演劇的に演じる必要がないので)敢えて舞台らしく不自然な大声やいい声を出すこともなくて、丁寧に作られた、いい芝居だった。
楽しいシーンは楽しそうだったし、悲しいシーンは悲しそうだったし、叫んだり泣くのにはそれだけの理由があると思えたし、解説するまでもないのだけど、わたしは大変満足です。


芝居のなかに、妻が「自分が死んだらこの箱の鍵を渡して、中に彼への手紙が入っているから」と親友に鍵を預けるシーンがある。努めて明るく、自分の死後のことを託す女性と、託される女性が、知らさずにおきたい相手(夫)に「なんでもないわよ」という演技をするシーンが存在することも、とてもリアルだった。

辛いのを知っているけど明るく過ごさせようとする回りと、辛いのを悟られまいと明るく振る舞う本人、双方の努力によって辛うじて均衡を保つ幸せな時間。死を前にしないとここまで意識的になれないかもしれないけれど、人との関係はこういったお互いの細かな演技で成り立たせていくものだと、戯曲を書いた長谷川さんはよくわかってるんだなと思った。

終わってみれば、夫の考えよりずっと遠くに妻はいて、自分で自分の人生に終止符を打つ、夫の思いも寄らない不意打ちで。妻も、やっぱりひとりでは実行するのは怖くて、ちょっとだけ夫の手を借りる。その自分の死に関わってほしいと願う弱さも、寂しがりで甘えんぼうなところも、すわちゃんらしくて(というのも変だが)納得がいってしまう。
ほんとに変な話だけど、役柄として演じている妻をみていると、それはすわちゃんの物語をみているようで、本番が終わってカーテンコールで出て来ても、死んだ人をみているようだし、着替えて出て来た私服のすわちゃんをみても、悲しいことを体験してきた人みたいに感じて、なんだかいつもみたいにふざけることもできない妙な雰囲気になってしまうという、いままでにない感じだったことも、なんだかわからないが、書き留めておきたい。

自分が舞台に立ったときのことを考えると、終わってしまえば人ごとというか、確かにわたしの身体が経験したことなのだけれど、幕がおりればそれは書かれた文字のようなもので、わたしではない。だからラストで涙をぼろぼろ流しても、見に来てくれた人と会うときにはけろっとしてるというか・・・。それがわかってるはずなのに、あの厳粛な感覚ってなんなんだろう?? これまでの諏訪ちゃんの舞台で、こんなことあっただろうか? もちろん、過去の自分のことでも人ごとみたい(読書の体験みたい)に感じることもあるし、読書が実体験ほどの影響を本体(と敢えて呼ぶが)に残すこともあるのは承知なのだが。

少女「終わらない・・・何ひとつ終わらない、ただ役柄が変わるだけ・・・ユディットは、メイクを落として楽屋で着替え、こもだまりの役になってザムザ阿佐谷の階段をのぼる・・・」(寺山修司『青ひげ公の城』最終幕「月より遠い場所」より)

寺山さんのいうように、その時にはこもだまりの役を演じてるに過ぎないのかな。

この話は保留。すわちゃんの感じたことも、こんどインタビューしてみよう。


それからわたくしごとだけれど、砂々良のママは、まさにこの舞台で言われている病で亡くなったので、死んでいく妻と、遺された夫や妻の弟をみながら、わたしのまわりの人を重ねて思いだしていた。
さきに触れた手紙は、死ぬまで開かない筈の箱がその日ハプニングで開いてしまい、妻はその手紙を奪い返し、自分の服のポケットに入れる。そのあと、あの手紙がどうなったのかは、舞台でははっきり描かれていない。夫にちゃんと届いていて欲しいと、それが気になっている。

OZab(あんまり情報ないみたいだけれど)