ここ数日は、シーンごとではなく、いくらか繋げての稽古にシフトしてきている。
明日は最後のオフで、土曜日に第2回「着け通し」(道具衣装をつけての通し)、今回はメイクもしてかなり本番さながら。

ということで、手直しの入った部分や、殺陣の部分をレベルアップするため、殺陣指導の青木さんが登場。
今日は和室だったので、殺陣やって倒れた人からジャージやTシャツが畳カスだらけになっていき、「けふけふだよ」と言われる(いつの間にかみんな、いぐさまみれのことを「けふけふ」と呼び出した)。
なにしろ倒れない人いないんだから。みんなけふけふ。

殺陣。
習った日からスピードを上げようと思って稽古してなかったんだけど、スピード自体は勝手に上がっていたらしい。でもそれによって(慣れたことによって)一個ずつの技が流れてきている、斬ったときと避けられたときの違いがわかりづらいとの指摘。今日まで「安全に合わせる」練習をしてきていたのだからそうなるのは当然だ。油断はしちゃダメだけど、もう手順を間違えたりぶつかったりってことはなさそうな段階まで来たので、次のステップへ進みたい。一太刀ずつ、意味を把握して、ちゃんと斬り合いをしなさい、ということだ。
いまさらの発見でお恥ずかしいが、刀が合うのは結果であって、斬ってくるのを受けるか、斬ろうとしたのを受けられるか、で起こる。つまり、受けたり避けたりされなければ、斬った自分の軌道通り斬っている筈なのだ。
「合うもんだ」と思ってやってる型じゃ、さらっとするよな、と納得、そして反省。
青木さんと大島さんと三人で廊下で稽古。
吊ってあるみなさんの私服のコートを「ぼふっ」、タイル張りなので踏み込んだ足音が「ぱすっ」、そんななながら、一太刀ずつ、細かく検証・指導してもらった。
私からみれば大島さんは月蝕で殺陣をやっているだけあって既に上手だなあ、と思うのだけど、青木さんがアドバイスして直すと、格段に変わる。わたしは見る目もまだないんだなとしみじみ思う。自分の振りもすぐには消化できないから、休憩あけ、他のシーンを部屋の中でやっている間、ひとりで廊下で「受けられなかった場合」の太刀筋を一個ずつやってみた。全部の攻撃の、邪魔されなかった場合の刀の軌跡。
そしたら今までやってた足運びじゃないがほうが斬れる、と思った箇所がでてきたので、青木さんをつかまえて見てもらったところ、そのほうがいいですと言ってもらえたので、あながち感覚は間違ってなかったようだ。なんかちょっとわかってきたかも!

帰りがけに青木さんから、みんなにお言葉を賜る。
みんなで正座して、両手も武道のポーズ(?)で拝聴。
「相手の動きに囚われてはいけない」と青木さん。
聞きながら、『不動智神妙録』を思い出した。もう何年も前に朗読CD出した戯曲『あれから、ずーっと、かい?』(横田創)に出て来た、沢庵和尚の剣術指南書。まさにそう書いてあったじゃん!!(詳しくはhttp://www.osk.3web.ne.jp/~nanten/kmr/参照)


向より切る太刀を一目見て
(むこうよりきるたちをひとめみて)
其儘そこにて合はんと思へば
(そのままそこにてあわんとおもえば)
向より斬る太刀に其儘心が止まり候へて
(むこうよりきるたちにそのままこころがとどまりそうらえて)
手前の働きが抜け候て、向の人に切られ候
(てまえのはたらきがぬけそうらえて、むこうのひとにきられそうろう)
是を止まる申可候
(これをとどまるともうすべくそうろう)

(『不動智神妙録』より)



相手を見ちゃだめです、相手の刀や目を見ちゃだめで、全体をぼやっとみる感じ・・・遠くの山を見るような・・と青木さんが言ったのは、これだろう。

指導の結果をもう一度演出に見せた所、「前より時間的には伸びてるけど、短く感じる」とのことなので、よい方向のようだ。あとは繰り返し稽古すべし。

のち、全体の通しをした。個人的には、物語の流れがいまだはっきりできてない感じで、シーンごとのぶつ切りになってしまってダメ。明日もがんばりましょう。