今年は6/20の開店記念日も、5/16の富美子ママ命日も土曜日。
毎年、こういう日は欠かさず来てくださるTさんが「だからどっちも金曜にやるからね!」と宣言したので、金曜日の今日、ママの着物でお出迎え。
下駄はマスターが松山で買ってくれたもの。
(写り込んでる黄色いのは、同じく松山で買った「みかんちゃん」携帯クリーナー)

090515下駄



4年目の今年も、忘れずにお花やお菓子を持って、お店に来てくれるお客様たち。
多くは語らないけれど、ママを思い出してる。
「あなたがママの着物でいると、ママもここに居るって気がするね」と言われる。
深く考えてママ着物を着るようになったわけじゃないけれど、きっとそういう意味もあるんだな。
わたしたちと、ママとを繋ぐもの。
着ているわたしも「ママの代わり」として居るのではなくて・・・
ママと、ママの着物と、わたしたち(=私やマスターやお客様)。
伝わるかしら。

例えば、ママが健在だとしたら、ママの着物を着てても、「ママの代わり」って考えはしないでしょう?
ママはきっと、ちょくちょくマスターやお店の様子を見に来ていると思うから、「代わり」っていう感覚はないのです。
着物は持ち主を変えて長く着られるものだから、元の持ち主を思い出す依り代として、昔から機能してきたのかもしれない。
なんてことを思った。


<2009.05.15>
090515


ひさびさ、ごく普通の塩瀬の白の半襟。
曼珠沙華と呼んでる(ほんとはなんだかわからない)紬(銘仙?)の着物。こないだ気づいたことが、わたしはこの着物が好きらしく、ここ数年、年に1回は必ず着ている。夏を挟んで2回着てる年もある。しかも気づかずに(笑)。困った時にはこれを選ぶらしい。

回数着ているからか、着付けが一発で決まる。
帯は、今年の春になるころ、お店箪笥の空気を入れ替えてて、気になった子で、初めて締めたんだけど、これも一発OK。
ほんとは、シカゴでみつけた緑の薔薇模様の帯を締めようと思ってたんだけど、この帯を見つけたので、着物と帯はママで揃えて、それに薔薇の帯留をつけた。ママは薔薇の似合うタイプの、いかにもな美人さんだから(それで薔薇帯を締めようと思ってたのかな?)。


袷じゃ少し暑くなりそうだったので、襦袢を省略して、着物スリップに付け衿にしたので、タオルを一枚ふたつ折りにして腰の補正をしている。
これが思いの外よかったようで、帯をきつく締めなくても安定するみたい。




そして(4/10の記事の最後に書いた半襟浮く問題は、衿が立ってるからか?と思い至り、入念に衿を寝かせてみたところ、いい感じに落ちついた。今日は付け衿なので、これでよしとは言いきれないが、まあたぶん解決。

あ・・・。
いま、「あの時はどう表現したんだっけ?』と4/10の文章を読み返してみたら「胴の補正をしよう」ってはっきり書いてるじゃん! まるっきり忘れてた。忘れてても別ルートで同じところに至って、今日試行してちゃんと結果が出たからいいけど・・・ぼけてるなあ。

とりあえず、あの日書いてた2つの問題点は解決方向。



話は逸れるけれど、最近「ボケてるなあ」と思うことしばしば。
着付け中もぼーっとしてたのか、着物を合わせて腰紐巻いたあたりの記憶がない。
帯締めてから「あれ?ちゃんと褄あげた?」って思って見ると、まあちゃんと着られてたので、「無意識でできる部分が増えた(慣れた)」と考えればよきことか。
胴の補正にしても、ぼーっとしてても思考は繋がってるようだからいいけどね。
でもちゃんと覚えててやったことじゃないから、お手柄感がないのがイヤ(笑)


あ。
ママが着付けの手助けしてくれたのかも!