先月今月と、毎週演劇やらライブやらを見ている。
それぞれ感想を書こうと思いながら時が過ぎ行くので、とりあえず片っ端からちょっとでも書いておく!と方針を改める。


昨日見た舞台、ラストシーンの構図が大変美しかった。
それまで触れ合うことのなかったふたりが触れ合う最初で最後の場面。
(そのまえにもう一組別のふたりが手をつなぐのだけど、それは巧妙に柱の影に隠れていて、ラストシーンでのたかまりを損なうことはない)
触れるのであればこういう形がいいなとわたしが思った通りの形で、しかもその形のままふたりの関係がゆるやかに変化していく。それに伴って、それまで暗がりにいて顔があまり見えていない状態(というストレスを敢えて観客に与えていたのだと思われる)だった者が、(恐らくこの舞台通して最も)明るい/強い光に包まれるなか、ひとり、神とでも呼ぶべきなにかに語りかける。

演じてるのは女の子と男の人。
男の人の身体に響く音(それがタイトルである「エレバーター音楽」)を、耳を当てて聞こうとする形。
向き合って、彼の左胸に左耳を当てて目を瞑る。その時に彼の右の胸にも左手の手のひらを当てた、それが、よりよく聞きたいという意思と、もたれかかる弱さと、いろんなことを表現していてよかったのだ。


それに準じて、サボテンちゃんが拒否されて絶望して泣くときの形もよかった。
それまで相手をつかまえていた/つかまえられていた手を離して、拠りどころをなくした形。
見えてる形で言えば、泣き出した顔の前で、まるでそこに何かが存在して、それにつかまれば立っていることができるのに、というように見えないなにかを掴もうとするように空を何度かさぐるけどなにも彼女を支えるべきものはないから何もつかめない、何もつかめなかったまま握りしめた右手をどこに置いていいのかわからない、ようで、もしかしたらそんなことすら考えられてないのかもしれない。
目の見えない子供が、おかあさんの手を見失ったようだった。


内容とかテンポはわたしの好みではなかったのだが、
観客をわざと不愉快にさせたり、(上にもすこし書いたが)距離感や立ち位置で関係の変化を見せたり演出は巧妙だった。
事前に劇団の公式サイトで写真を見たので、開演直前に座った人が演出さんだなと思ったので、その人の反応も含めて舞台を見てきた。
(開演前の暗転でその席に当たる明かりが最後に残るのは、わざとなんだろうか??)


始まってすぐ、この役者さん見たことあるなあ・・・と気になったんだけど、まったく思い当たらない。
村野武憲似の声も、ちょっと横顔の顎のラインが変わってるのも、一度どこかで・・・?
帰ってから調べたら、数年前にヨシケンさんの舞台見たのに出ていることがわかった。ああ、あの役だ、とすぐ思い出した。そしてその舞台も(それは裁判もので、なかなかおもしろかったのだけど)この津田記念日の作品だった。なあんだ、わたし津田記念日初めてだと思って来たのに、見たことあったのね。


津田記念日『エレベーター音楽』@王子小劇場。