告知)5/29〜6/2 SAI『PARADE〜終焉の詩』百鬼犬綺譚◎石井さんと乾杯

2014年04月17日

SAI◎「PARADE」台本脱稿と早読みという稽古


本日朝方、おにいから「台本脱稿したので共有フォルダにupしました!」と通知あり。
「おつかれさま!」
「起きてる人いた!w」

昼から稽古。
ちょっと遅刻だったので、みんなが場を共有する基礎練してる光景を、じっくり柔軟しながら見る。
のち、本を持ったまま通しの読み合わせをした。
読みあわせと言っても、台本が出た直後にはSAIでは「早読み」と呼ぶ、出力100の立ち稽古。
頭で考えた間とか、抑揚とかじゃなく、とにかく外に出す。
これがまあ、体力使う。

今日欠席の人の分、出番が被っていない役の代役をふたつ。
出たてでほぼ初見だから、自分の役の筋道さえ把握してない台本で、代役ふたつ(笑)
でも早読みだからいいの、ストレートにやるだけだもん!

エンディングまでやってみたら、話がすっとわかった。
どうすればいいのかも、見えた。正解ではなくてひとつの選択肢だけど。

紅葉をやったせいか(また紅葉出て来ちゃった…)、
同じような(少し違う)パターンの人生を繰り返すことに違和感がなくなった。
説明する。
(演劇というのは、台本に書かれた台詞を言って、相手が何を言うかももちろん知ってるのに毎回初めてのこととして生きるのが約束。だけど稽古で何度もやって慣れてくると新鮮味を失って、相手の反応を先取りしてしまったりという良くないことが起きることもある)
で、紅葉で「今世もこうなってしまった」って思う瞬間を味わっていて、既視感を前世のこととして捉えることに違和感がなくなった(つまり今は今)。

これは個人的な感触だけど、それで随分身軽になった。


で、早読みの話に戻る。
さっき出力100と言った早読みの目的は、純度100とも言えると思う。
取りあえず出来うるパワーもスピードも全部注ぎ込む。
普通のテイクでは空気を読んで自然に却下してやらないであろう読みだったりもする。
でもそれが案外、頭で考えてたら到達しなかった回路を繋いでくれたりするんだな。
だから早読みはシンプルに楽しい(エクササイズとしてもいい)。

今日は代役ふたつやってみて、字面と本人の声でしか聞いたことないシーンを生きて、その役のことがわかった。ていうか早読みやると感情の振り幅大きいからか、まあ、代役であってもよく泣く。
『ロマグロ』も(そもそも出てないからね)代役で大泣きしたっけ(笑)。
おにいの台本はわたしにはとても分かりやすく、すっと入ってくる。だから初見の代役でもそうなるのかもしれない。あと登場人物が今を精一杯生きる人たちだという、SAIの特性ありきかもしれない。

それでさっきの話に繋げると、代役としてやる役の人生を生きるのはこれ一度きりだろうから、紅葉回路保たなくても自然とたった今として注ぎ込めたんじゃないだろうか。

でも、まずなにより出力100で、頭じゃなくて身体で考えるなんてことできるのは、場を、演出家やカンパニーを信用しているからだと思う。その一点だけでも、SAIに参加する価値があると言える。
端的に言えばおにいへの信頼感。終わったあとの休憩時間、おにいと今ので気づいた感触について話した。自分の役も人の役もあんまり区別なく。

これはダンスで得た感覚なのだが、自分の身体も共演者の身体も、分け隔てなくみんなの共有の道具と感じられる時は、楽。SAIの基礎稽古が身体の解放や場の掌握とか共有概念の確認だから、共演者の特性というか癖とか出方がわかって、ダンスの稽古に近い感覚で稽古場にいる。ので、なぜかSAIに出る時は(踊るシーンの有無にかかわらず)ダンスのレッスンをやりたくなる。

冒頭の写真は、おにいが振付家みたいな格好で演出してる稽古場写真。
こんな感じで元気に稽古中です!

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mari_air at 22:00│Comments(0)TrackBack(0)演劇・舞台 

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