読書

2017年04月15日

羽野幸春先生のこと

2017年3月20日は、都立駒場高校時代の恩師・羽野幸春先生のお通夜でした。



青蛾館『中国の不思議な役人』本番2日目の深夜に、ご家族よりお知らせいただきました。
本番中唯一のマチネだけの日がお通夜で、本番中にもかかわらず列席できたのでした。
会場のウェルカムボードに先生の写真がたくさん飾られていたので、
列席できなかったみなさまにお見せしようと、そっと撮影してきました。
お会いした時はもう見事な白髪だった先生の若いころ。かわいらしいポーズ(笑)




羽野先生は担任でもなく、倫理の授業を受けただけです。
それでも、卒業してからも連絡を取っていた先生です。
訊けば「倫理」という科目がない学校も多いらしい。
最初の授業では、パスカルの『パンセ』の話をされました。
「人間は考える葦である」という一言は有名だと思いますが、先生はこの続きも教えてくれました。

人間は自然のうちで最も弱い一茎の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。(略)
宇宙は空間によって私を包むが、私は思考によって宇宙を包むことができる。


発想の転換!たぶんその時わたしの口は「あ」の形に開いていたと思います。
掴みはばっちりというやつですね。それからわたしは倫理の授業が楽しみになったのです。


最も記憶に残っているのはギリシャ悲劇『オイディプス』の回です。
(詳しいことは割愛しますが)
父・オイディプス王が汚れとして追放され、弟のクレオンが王となる。
オイディプスの息子達は後継者争いをし、兄王子が敵国を率いて母国に攻め入り、兄と弟は相打ちで戦死。弟は国葬されたが、兄は逆賊として遺体を野に放置される。その処遇に対して、妹たち・アンティゴネーとイスメネ姉妹がどう行動したか…ということを話し、先生はアンケートを取りました。
「ここまでの物語を聞いて、クレオン・アンティゴネー・イスメネのうち最も誰に共感するか、理由もつけて書いてください。」
後日、廊下で会った羽野先生に「あなたのクラスで、クレオンに票を入れた女子生徒はあなただけでしたよ」と話しかけられました。わたしの中では断然クレオンだったので意外でした。次の授業で配られた集計表を見たらその通りで、いろんな考えの人がいるんだなあと知ったのでした。16歳の頃のお話です。

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mari_air at 23:43|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2014年10月17日

『ここにいたらいいのに』って思う人はもう"家族"なんだって

何年か前にTwitterでも言及したけど、演劇の本番が近づくと、やるべきことに追われて自由に話す時間が圧倒的に足りなくなって来る。稽古後にごはん食べに行っても、長くても終電の時間で解散なきゃいけない。
帰宅してひとりでいる夜中とか朝方に「あっ、そうか!」なんて発見しちゃってすぐ仲間に言いたくなって、でもこんな時間にメールしたら起こしちゃうかも…作業の邪魔になるかも…と翌日まで持ち越したりする。

そんな時期、あー、みんな近所に住んでればいいのになーってよく思う。

その時に思い出した言葉がこれ。

「おれ なにかの本で読んだことあるよ。『ここにいたらいいのに』って思う人はもう"家族"なんだって。つきあいの長さも深さも関係なく。」(「ちはやふる」末次由紀)


8巻のクリスマス会での机くんのセリフ。

ちなみに私は、まつげくんこと太一派です。


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mari_air at 08:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年09月29日

言えなかった言葉を夢の中でも探していた


わたしは高校生の時、長い手紙を書くようになった。
前にも日誌に書いたかもしれないが、同級生のあきちゃんと朝手紙を交換し、その場で読み合い、続きを話し、なんならそれでは飽き足らず帰りに駅まで一緒に歩いてホームでも話し、帰ってまた続きを手紙に書く……そんな時期があった。ひとりじゃない思考。交じる、混ざる。お互いの字を見すぎて、筆跡すら似てしまうくらい。
(LINEのない時代でよかった。きっと死んでしまう。)


手書きの手紙って、程度の差はあれ、だいたいラブレターだと思う。
文字ってその人がすごく現れる。PCもメールもこれだけ普及した今は手書きの文字を見たことない人もいるけど、筆跡は顔みたいで、以前はその人の筆跡をはっきり覚えていたものだ。

あきちゃんとも今は滅多に手書きの手紙の交換はしないけど、今年の頭、久しぶりに書きたくなって書き始めた。けど、久しぶり過ぎて(かつ長くなるので)、書き終わらなくて5月の引越しを迎えて、新居に着いてから続きを書いて、半年経ったところで書き上げて送った。画像はその手紙。そしたらあきちゃんの住所が変っていて、戻って来た(笑)。どれだけ手紙送ってなかったんだ。(「手紙送ったよ」→「えっ住所どこに送った?」ってやりとりがあったので、返送されてくるのは分かっていて、無事に新住所に送り直しました。)(そしてあきちゃんも返事を書き始めたが書き終わらないと言ってたから、うーん、来年までには届くかな?気長に待つことにする。)

手紙は、性質上タイムラグが生まれる。
マスターが「あんこ椿は恋の花、の歌詞の”三日遅れの便りを乗せて”って意味わかるか?船便だからだよ」と教えてくれた。そこまで悠長ではないけれど、郵便を使うのは急ぎの用事じゃない時だ。
たぶんそこに書かれるのは、少し未来まで変らないと思えることなのだ。
生きていたら思考は日々更新されるけれど、それでもいま不変だと思えるものを書き残す。
書き残す…手紙はいつも過去のあなたから来て、読むわたしはいつも一歩遅れる。それは遺書に似ている。読書もそう。だから読まれる手紙は、しあわせだ。続きを読む

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mari_air at 07:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年09月18日

SAI◎赤糸で縫いとじられた物語

誰かの荷物に紛れたらしく、帰ったら台本がない。覚えたとか大事とか以前に、台本、本番で必要だからなぁ(笑)

仕方がないので、昨日は寺山修司「赤糸で縫いとじられた物語」を読んだ。

これです。
宇野先生の絵が表紙。

「青ひげ公の城」にも、けむりという名の猫がいて、という歌詞があるし、駒鳥やアリスとテレスやダンボールの月だの消しゴムだの、寺山さんのアイコンがたくさん詰まってる本だった。

※5月公演で読まれた「大人になるまでかくれています」「かもめだけが見ていた、ある心中のかくれんぼ」のふたつも、この本の「かくれんぼの塔」にあります。


ひとはだれでも、実際に起こらなかったことを思い出にすることも、できるものなのです。

「書物の国のアリス」より
(寺山修司『赤糸で縫いとじられた物語』
収録)


ちなみに、台本は無事に帰ってきました。

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2011年08月02日

曹操と安西先生



デスクトップの画像は、いくつかの画像の中からランダムに表示する設定にしている。
今朝はこのお方が。





曹操(王欣太『蒼天航路』)が、わたしに手を差し伸べている・・・!
贅沢すぎてにやにやしちゃう。
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mari_air at 14:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年06月06日

「もし世界の終わりが明日だとしても

「もし世界の終わりが明日だとしても 私は今日林檎の種子(たね)をまくだろう!」

寺山さんの戯曲の上演がラストシーンを迎え暗転すると、シーザー(現J・A・シィザー)の「1970年8月」が大音量でかかる。
真暗闇の中マッチを擦りながらの名乗りでよく使われる言葉なので、聞き覚えのあるかたも多いだろう。(たぶん6/9初日のA・P・B-Tokyoでも高野さんの声で聞けるんじゃないかな?)


てっきり寺山さんの言葉だと思っていたが、さすが名言蒐集家。
角川文庫『ポケットに名言を』(大和書房『青春の名言 心さびしい日のために』1968年の新版)の中で、ゲオルグ・ゲオルギウの言葉だと紹介していた。

それでさっきゲオルグさんて何者かしらと検索したら、なんと人違いだという記事を発見。続きを読む

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mari_air at 22:30|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

2011年06月02日

「新しい時間」

誰を記憶するでもなく、誰に記憶されるでもなく、自分自身を記憶する光の情景。私たちが記憶と呼ぶもの、それは単なる記憶の記憶で、記憶の痕跡に過ぎない。記憶にラベルをつけて整理整頓し、お行儀良く過去から未来へ一直線に並べ直すことがもし記憶であるなら、世界は何と貧弱で頼りなく、暗く悲しいものだろう。忘却。記憶の本当の名前。光り輝く彼だけがこの世界を愛しつづける。

(横田創『Naked Cafe』20101224「新しい時間」より抜粋)



なんでだか文章の呼吸がやけにしっくりと来た。
気に入ったものは忘れないように貼りつけて。


記憶、という言葉を中学生の頃からずっと気にしてたとたったいま、思い当たった。



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mari_air at 23:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年05月03日

横田創『埋葬』

創さんの初の書き下ろし新刊(去年冬発売)、買ったまま待たせてたのをやっと時期が来て読んだ。
駅を降りてすぐにある、いま満開のハナミズキによく似合う装丁。
以下、読書記録をまとめてる(過去の読書も整理中)ブクログから転載。
BookLogて名前も気に入ってる。


横田 創
早川書房
発売日:2010-11-25

死者(不在者)のことを語る人たちの話を聞く物語。
複数の人が彼女について語れば語るほど、彼女の輪郭はぼやけていく。
でもどれが「ほんとう」とか「うそ」とかそんなことは関係なくて、そもそも関係の中にしか人は存在できないのだから、誰かが語る彼女も彼女の一部なのだ。



追伸)ブクログのレビューには気に入った箇所フレーズの引用もしてあるんですが、それは反映されてないようなので改めて。

”いつまでたっても慣れないと、忘れられないと思うものはすべて、慣れようと思う前に慣れて、忘れようと思う前に忘れてしまったものの上に成り立っているから、慣れてしまったことにも、忘れてしまったことにも気づかない。”(横田創『埋葬』p.183)


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mari_air at 22:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年10月19日

「寺山修司に愛された女優」新高けい子さんの伝記が出ました!



日刊ゲンダイの記者で、寺山作品の公演ではいつもお会いする山田さんの取材に基づく、天井桟敷の伝説の看板女優「新高けい子」さんに関する本。

10/15に発売されたので、宣伝しておきます!
わたしはまだ読んでないんですが、万有引力にいく電車の中で読んできたという昭和さんが「俺も知らないことが書いてある。さすがだよ」と言ってました。

万有で見た「阿呆船」のラストを飾るあの台詞も、新高さんの台詞ですよね。



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mari_air at 22:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月10日

京極夏彦『姑獲鳥の夏』

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)なつみちゃんも毬子ちゃんも面白いというので、ついに京極夏彦の「百鬼夜行シリーズ」なるものを読んでみた。

第一作目の『姑獲鳥の夏』。
堤真一主演で映画化され、結構話題になった(わたしの回りでは着物のことで話題にあがった)ので知ってる人は多いが、原作のあまりの分厚さに手を出さない人が多かったらしい。島田荘司読んでたら分厚い本なんか恐くないさ!


推理力と行動力に長けた中禅寺秋彦の為すことを、友人の関口巽が語るというスタイル、島田荘司の御手洗シリーズを見るようだ(本の分厚さもさることながら)。
ちなみに中禅寺さんは御手洗さんよりもさらに出し惜しみ型なので、友人で私立探偵の榎木津礼二郎が中盤のストーリー展開を進める。

御手洗さんはもと占星術師で、現在脳科学者(趣味が探偵)。
中禅寺さんの本職がは神主(宮司)で副業として憑物落としの拝み屋、さらに古書肆「京極堂」の店主(ゆえにしばしば屋号の「京極堂」で呼ばれる)。
風貌も、痩身で長身、というあたりで似たイメージだ。

石岡さんが記憶喪失時に巻き込まれた事件から救ったのが御手洗さんで、
関口さんが学生時代に患った重度の鬱(+後年巻き込まれた事件)から救ったのが京極堂、という合致はおそらく敢えてのパロディなのだろう。
御手洗さんの、石岡さんを甘やかして助けはしないが最終的には見捨てないといった態度も、京極堂の関口さんへの態度に似ている。
おかげで御手洗シリーズファンの私は入り込みやすかった。

妖怪が出て来ると思いきや、妖怪そのものは登場しない。
妖怪になぞらえて起きる事件を「憑物落とし」として解決する。
憑かれている人間を、言語によって解放するというもの。

物語の巧妙さはもちろん、謎解きの爽快感は御手洗さんに劣らないし、京極堂の人間性(余計な干渉はしないが、関わってしまったなら出来るだけ救いたいという態度)も、榎木津さんの自由奔放な言動もたいへん気に入ったので、しばらくこのシリーズを読んでみようと思う。


登場人物についてはwiki該当ページをご参照いただくとわかりやすいかと。

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mari_air at 23:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)