手紙

2014年09月29日

言えなかった言葉を夢の中でも探していた


わたしは高校生の時、長い手紙を書くようになった。
前にも日誌に書いたかもしれないが、同級生のあきちゃんと朝手紙を交換し、その場で読み合い、続きを話し、なんならそれでは飽き足らず帰りに駅まで一緒に歩いてホームでも話し、帰ってまた続きを手紙に書く……そんな時期があった。ひとりじゃない思考。交じる、混ざる。お互いの字を見すぎて、筆跡すら似てしまうくらい。
(LINEのない時代でよかった。きっと死んでしまう。)


手書きの手紙って、程度の差はあれ、だいたいラブレターだと思う。
文字ってその人がすごく現れる。PCもメールもこれだけ普及した今は手書きの文字を見たことない人もいるけど、筆跡は顔みたいで、以前はその人の筆跡をはっきり覚えていたものだ。

あきちゃんとも今は滅多に手書きの手紙の交換はしないけど、今年の頭、久しぶりに書きたくなって書き始めた。けど、久しぶり過ぎて(かつ長くなるので)、書き終わらなくて5月の引越しを迎えて、新居に着いてから続きを書いて、半年経ったところで書き上げて送った。画像はその手紙。そしたらあきちゃんの住所が変っていて、戻って来た(笑)。どれだけ手紙送ってなかったんだ。(「手紙送ったよ」→「えっ住所どこに送った?」ってやりとりがあったので、返送されてくるのは分かっていて、無事に新住所に送り直しました。)(そしてあきちゃんも返事を書き始めたが書き終わらないと言ってたから、うーん、来年までには届くかな?気長に待つことにする。)

手紙は、性質上タイムラグが生まれる。
マスターが「あんこ椿は恋の花、の歌詞の”三日遅れの便りを乗せて”って意味わかるか?船便だからだよ」と教えてくれた。そこまで悠長ではないけれど、郵便を使うのは急ぎの用事じゃない時だ。
たぶんそこに書かれるのは、少し未来まで変らないと思えることなのだ。
生きていたら思考は日々更新されるけれど、それでもいま不変だと思えるものを書き残す。
書き残す…手紙はいつも過去のあなたから来て、読むわたしはいつも一歩遅れる。それは遺書に似ている。読書もそう。だから読まれる手紙は、しあわせだ。続きを読む

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mari_air at 07:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)