2015年8月29日の未明のことでした。
今日、8月29日は昭和精吾の命日です。

昭和シロ
1994年「仮面劇・犬神」チラシより



最後の公演となった8月15日のザムザ阿佐谷公演は、20年前の沖縄公演キャストである原サチコさん、津田卓也さんが参加してくれたおかげで、当時の関係者がたくさん見にきてくださり、珍しく昭和さんも終電まで打ち上げに残るほど、ご機嫌で元気でした。

数日後、昭和さんは背中に違和感を感じ診察を受け、癌の疑いが発覚。それまで本人に自覚症状は全くありませんでした。わたしが昭和さんから「余命宣告を受けた」というメールを貰ったのは8月22日、地方公演の帰り道でした。夏になるといつも「暑さで溶ける」「爺はもうダメです」とふざけていたので、またまた・・と思ったのですが「検査入院から戻ったら、資料の整理を一緒にしよう」と言われました。

検査のための一時入院のつもりがそのまま入院となり、奥様が「すぐ来ないと間に合わないかもしれない」とご連絡をくださいました。稽古をお休みさせてもらって、イッキさんとお見舞いに行ったのが8月28日の夜。もうあまり声も出ず、でも意識はしっかりしていて、お客様へのコメントを託されました。
亡くなった日の夜は、イッキさんと会って献杯しました。


2013年、「俺とまりちゃんで李庚順やらない?」とイッキさんが言ったこと、2015年の昭和精吾お別れ会の場で「昭和精吾事務所ふたりで続けてよ」と昆明夫さん(おきあんごさん)が言ってくれたこと、他にもたくさんの方の言葉や支えあって今に至ります。西邑さんと梶くんという、作品にストイックに向き合えるメンバーと<昭和精吾事務所>の看板で作品を作れて、わたしはとても幸せです。

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(「李庚順やらない?」の日の写真が出てきました)

7月にイッキさんと「李庚順」と「アメリカよ」をやる機会が降ってわきました。イッキ×こもだの初めての李庚順が2013年で今年ちょうど十周年になるので、昭和さんが「やっとけ」と図ったような気がしてなりません。



昭和さんのお墓は、東京タワーのすぐ近くです。
生前に奥様と二人で相談して用意していた場所だそうです。

●昭和精吾 墓地のご案内
http://showa-seigo.blog.jp/151214_2.html


●昭和精吾個人サイト
https://showaseigo.com/syowa/




昭和精吾事務所の語りは言葉がダイレクトに入ってくる、と言われます。
それは昭和さんから学んだ、言葉や、作品や、作者への敬意と信頼の現れだと思っています。
これからも聴覚の愉悦を追求し、言語の洪水を起こしていきます。

どうぞ変わらぬ応援、よろしくお願いいたします。



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2013年3月 イッキさんと3人時代


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2014年8月 西邑卓哲さん初参加の日


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2021年6月 梶原航さん加入の新体制記念アー写