「いまなぜ青山二郎なのか」を読み終えた。
最後に青山二郎の日記より、白洲正子が抜粋したものが載っていた。
とてもよかったので、一部転載します。



自分で自分が解らない、これだけが芸術家の原動力だ。そしてそれを理解する鍵だ。



パウロはキリストがあつただけだ、ドストエフスキイは芸術なぞといふものを信じたわけでは無い。絵画が梅原龍三郎に生きたのだ。



美とは魂の純度の探求である 他の一切のものはこれに反する




解るとは、解った人間の血が夜泣きをするやうな事を言ふので、その外に解ったといふ事に意義もないのである。



解るとは、ドストエフスキイを読んでドストエフスキイになる事だ。一度ドストエフスキイを読んだら、二度と元には戻らないだけの準備があるべきだ。一度ドストエフスキイを読んだら、ドストエフスキイといふものが自分の血液の中にとけるのである。



一度茶碗を愛したら、その茶碗は自分にとける。一度梅原を見たら、梅原が自分の中にとける。一度人を見たら人が自分の中にとける。一度牛乳を飲んだら、一度肉を喰ったら、一度酒を飲んだらーー自分の血の中にそれらがとけるやうに、精神も受けただけのものは血肉の中にとける。



対当でない相手と喧嘩はしない 世界的常識

(白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』青山二郎の日記ーあとがきにかえて より抜粋) 





ありがとう青山二郎!
ありがとう白洲正子!