
今日は2016年5月4日です。
寺山修司没後30年の3年前の今日、昭和精吾事務所は『われに五月を』2013という公演を打ちました。
1999年に渋谷ジァン・ジァンが閉館し「GWはしばらく休もう」と言ってのんびりしていた昭和さんでしたが、「昭和さん、イッキさんとわたしと二人で『李庚順』やっていいですか?昭和さんも出演してもらいます!一本だけでもいいですから!」と半ば強引に引っ張りだしたのでした。
最初は「演出はするけど…俺はアメリカだけでいいよ」と言っていたのにマイクを握ったら血が騒いだのか、蓋を開ければソロで『くらま天狗』『国家論』、イッキとともに『アメリカよ』を叫びました。
このあと昭和さんは2015年秋に亡くなるまで、5月・8月・12月とコンスタントに皆さんの前に立つ3年を送りました。公演が終わるとつい次のことに気持ちが向かってあまり写真などあげておらず、いまさらではありますが、少しずつ整理して、報告書という形式でご紹介したいと思います。
目次ページかタグ(#報告書)かカテゴリ(演劇/昭和精吾事務所)で追えるようにいたします。
更新は牛歩かもしれませんが、書いたらお知らせしますので、読んでいただければ幸いです。

昭和さんがいなかったら、わたしは寺山修司の言葉をこんなに浴びなかっただろうし、
寺山さんがいなかったら、昭和精吾はいなかったかもしれない。
昭和さんと出会わなかったらいま一緒に作品を作っている人たちとも、もう付き合いの長くなった仲間とも会えなかったかもしれない。
昭和精吾の生前の仕事をお伝えすることと、昭和精吾の精神を受け継いで繋いでいくことがご恩返しになると信じて、ただまっすぐに、作品に向かおうと思います。続きを読む